第5章

「お金とは何か」(1)GDPとは何か

 世界各国の経済を比較するのに、GDP(国内総生産)がしばしば用いられる。GDPは各国間の経済規模を比較したり、財政状況の基準になるなど、その国の経済の状況を表す信用度の高い指標として用いられている。このGDPはどのようにして成り立っているのか、比較するのに適当な指標になっているのかを調べてみた。

 GDPを計算するには、いくつかの方法がある。多くの国では、国内で生産された「最終財・サービス」に対して支払われた金額の合計で計算している。最終財・サービスというのは、消費されるために購入された財・サービスのことである。何かの材料にするための財・サービスは「中間財・サービス」と呼び、この価格は最終財・サービスの価格にいずれは含まれるものであり、二重計上を防ぐためにGDPには含めない。

 GDPを計算する方法は、国連などがその基準を示しているが、計算そのものは各国に任されている。これも「絶対的な指標」とは言えない理由の一つである。たとえば米国は2013年7月からの統計では計算方法を変更し、それまでは「中間財・サービス」の一部としてGDPに計上していなかった「研究開発費」を、設備投資と同様の費用としてGDPに含めて計算することにした。これにより米国のGDPは約3%増加することになったが、米国の経済規模が3%増えたわけではなく、数字が増えただけだ。

 GDPというのは、ざっくり言うと「ある一定期間内にその国の中で生み出された付加価値の総和」でもあるとされる。付加価値の総和をその国の通貨で表したものだから、つまりそれは「儲けたお金の合計」とも同じになるとされている。儲けたお金はさまざまな形で分配される。労働者には給与という形、企業は内部留保という形、株主は配当という形などである。GDPは「支出」「生産額」「分配」のどれから計算しても同じになるとされており、これを「三面等価の原理」という。

 日本では戦後の高度成長期から今まで、製造業を中心とした輸出産業が、経済をけん引してきたといわれる。しかし昨今のような「グローバル経済」になると、製造業で日本より人件費の安い国々と対等に渡り合うために、徹底したコストカットが必要になってきた。人件費を含めたコストカットをすることで、製品の競争力は高まるが、利益は減る。利益が減るということは、GDPは減る方向に振れる。いい仕事をしたのにGDPは増えないということになる。つまり、GDPというのは「国内でどれだけ儲けたか」の指標であって、「どれだけの仕事がなされたか」の指標ではない。

 たとえば、次のような世界を空想してみる。お金という概念も仕組みもなくて、労働は全て無料、生活に必要なものは現物支給され、報酬も物で与えられる世界があったとする。その世界では、計算できる売り上げはないのでGDPはゼロになる。ではその国の中で行われる労働は無価値かと考えれば、そんなことはない。つまりGDPというのは、国内で生み出された価値の「お金で測れる部分」だけの総和であり、抜けている部分もたくさんある。ここに気付かずにGDPが国の力を表していると考えていると、大きな思い違いをすることになる。

 GDPの統計というのは、後から修正されることがある。それもそのはず。国内で動いている全ての金額を束ねているようなシステムは世界のどの国にも存在せず、企業や官庁などから出される数字を寄せ集めて計算する。しかしその計算方法もいくつかあって、途中で変更されることもある。また前述のように、国によってどのような計算方法を取るかは異なっている。

 さらにいうと、為替相場の変動によって、各国の通貨の価値は他国の通貨に対して刻々と変動する。それをドル換算してGDPを比較しても、正しく比較できている保障はどこにもない。たとえば急に円高になって、円で計算するとGDPが横ばいでも、ドル換算したGDPは急に増加したとする。日本人としては円での収入が伸び悩んでいるので好景気とは感じないが、ドルで見れば日本は急成長していることになる。この場合日本は急成長しているのだろうか。それとも停滞しているのだろうか。

 こうしていくつかの角度から見てくると、世界が各国を比較するために重要視しているGDPというものが、絶対的な指標のようには思えなくなる。このようなものを絶対的な指標として、成長率を計算したり、各国経済を比較して今後の傾向を予測しようとすることは、それほど信頼性の高くないもののように感じてしまう。

 さらに不思議だと思うのは、このGDPの統計には、証券金融市場で生み出された利益などは計上されないということだ。お金を動かしているだけで、報酬を生み出しているわけではないという考えかららしい。しかし証券金融市場で動いているお金は膨らみ続けており、利益も生んでいる。これは実はバブルと同じ仕組みで膨らんでいるだけだということは第7章で書くが、このあたりから考えても、GDPというものはあまり気にしなくてもいいと思える。

 なぜGDPの話を初めにしたかというと、今回考えた「介護労働に対して国が価値を与える」という仕組みで発生したお金は、GDPに含めるべきか否かがわからなかったからだ。この方式でお金を生み出すと、新しい計算方法を加えない限り「三面等価の原理」が成り立たなくなる。それが「この仕組みは禁じ手なのではないか」と思った一つの理由だったが、調べていくうちにGDPというものがそれほど絶対的な存在でないとわかり、とらわれる必要はないと考えるに至った。



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