第10章

この仕組みは禁じ手か

 今回呈示している仕組みは、今までの経済の仕組みからは大きく外れているので、反発を感じずに理解していただくのも大変かもしれないし、「このやり方は禁じ手だろう」と感じられる方も多いかもしれない。しかし現実の経済をよく見てみると、特に最近の市場原理主義やグローバル経済が幅を効かせるようになってからは、現在すでに禁じ手はたくさん破られている。いくつか例を挙げてみる。

 例えばCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)は、相対取引を原則とするなど不透明なレバレッジ(てこ=倍率)による金額の水増しをおこなっているが、これを錬金術ではないと証明することは不可能だろう。CDS取り引きの内訳を明らかにする法律の成立に、業界が強硬に反対しているのは、それができると「錬金術である」ことがばれてしまうからだ。

 例えばグローバル企業によるタックスヘイブンを利用した租税回避も、堂々とおこなわれている。世界を股にかけて稼いでいる「グローバル企業」が、その利益に見合った社会的責任である納税をどこの国に対してもおこなっていない。商品の価格はその分安くなるかもしれないが、社会的責任を果たしていない企業は、どんなにいい顔をしていても「脱税企業」である。

 例えば最近盛んにおこなわれている欧米の中央銀行による無節操な債券買い入れも、従来は禁じ手とされていたものである。明らかな不良債権と思われる不動産関連債券の米国FRBによる大量買い入れとドル増発、倒産寸前の国の国債を際限なく買って延命を図るECBなど、返せる見込みがないのに借りた人たちの借金を中央銀行が肩代わりする形になっており、徳政令も同然の危ない橋を渡っている。

 他にも1929年から始まった世界恐慌の教訓から禁止されてきた取り引き手法が、金融自由化の名のもとに1970年代から次々に骨抜きにされるなど、禁じ手に関するたがは緩みっぱなしである。禁じ手を破っていることも弊害があることも明らかなのに、経済が絶命しないための窮余の策として目をつぶられているものが、たくさんあるのが現実である。

 それらの禁じ手による錬金術に比べれば、今回呈示するこの仕組みは、もし禁じ手だとしても、正しく成り立たせれば罪の軽い禁じ手であると考える。これまでの禁じ手は、それを実行すれば社会のモラルが崩壊する要素を孕んでいたが、今回呈示する仕組みは「実労働に対して価値をつける」ものであり、適切に運用すればモラルの崩壊は招かない。これを禁じ手だと感じるのであれば、それは基本的には「前例がない」ことによるものではないかと思う。

 また、これまでの経済のルール、経済の常識からは成立しない部分については、ルールを変えたり新しくルールを作ったりしなければならないところが出てくる。今回考えた仕組みも新しいルールを作る必要はあるが、これまでの経済の仕組みを壊さなくても成り立つ親和性を備えており、抜本的な法改正と仕組みの整備は必要になるが、その作業は比較的容易だと考えている。そして前章で書いたように、生み出されるメリットは非常に大きい。

 世界各国は金融緩和といってお金を市場にジャブジャブ注ぎ込んでいる。自民党の安倍総裁(現総理大臣)も同様の主張をして2012年末の総選挙で勝利をおさめたが、アベノミクス(大胆な金融緩和とインフレ目標の設定)も、本当に日本の経済を上向かせることができるのか、懐疑的な意見も少なくない。

 経済理論ではうまく行きそうなのに、単純にお金の総量を増やすだけでは経済は上向かないことが、これまで何回も経験されている。何故かというと、そのようにして増やされたお金は企業の内部留保や大規模出資者への還元へ回ってしまって、労働の多くを担っている庶民の所得の増加にはつながっていない経済構造になってしまっているからである。そしてそのようなお金は結局、証券金融市場などの「実体のない経済」の担保として吸い取られてしまう。

 この堂々巡りを解消し、前進させるにはどうすればいいか。答は明快で、国民の大多数を占める普通の労働者・消費者にお金が回るようにすればいい。最も単純な「消費者にお金が届くようにする」政策は、ただお金を刷ってばらまく「ヘリコプターマネー」だが、これでは働いても働かなくてもお金がもらえるという状況になってしまい、社会のモラルを壊す懸念が強い。

 そうではなくて、お金を刷って社会に注入するのなら、誰に注入するのかを工夫すべきなのだ。最も望ましいのは、「現在の経済の構造上お金が回りにくくて、そのために発展していないけれど、社会にとって不可欠な労働」をした人に、お金を刷って渡すことである。そうすれば、現在の「労働者にお金が回らないから消費も上向かない」という問題も解消する方向に作用し、そのまま証券金融市場へ吸い込まれてしまう心配もないなど、かなり理想に近いと考える。

 数あるそのような分野の中でも、介護分野は不遇を受けている最たる分野である。お金を刷って注入するなら、介護労働を担う人に直接注入するのが、現状の経済にとっては最も望ましいのではないか。この仕組みを社会に付加することが、現在の窮地を脱するためだけではなく、長い未来にわたって社会保障分野も含めた経済がバランスを保ちつつ存続・発展するためには、考え得る最善の策と言えるのではないかと思う。



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