第3章

高齢化と介護の将来、何が問題か

 現在までの経済構造では、職業からリタイヤした高齢者は、経済的には「消費するばかりで何も生み出さない人」だと捉えられている。インターネット上で以前見かけた意見に、次のようなものがあった。

 「働かずに死んでいくだけの老人に施す余裕は無い。経済が悪い時に守るべきは老人ではなく将来の担い手だ。日本には姥捨て山という素晴らしい伝統があるじゃないか。年金の削減に加え、高齢者に安楽死制度を希望する。」

 今の日本では、この意見に「ここまで過激ではないけれど、部分的には同意する」という人は、少なくないのではないか。しかし食糧も着るものも不自由する時代ならともかく、物が十分にある現代で、この意見が広く支持される社会であるよりは、反感を感じる人が多い社会であるほうが健全だと、個人的には思う。

 現状では、世間のほとんどの人たちが、何となくではあっても高齢者を「社会のお荷物」だと思っているのではないだろうか。今すでに高齢者になっている人も、高齢者予備軍の人も、今は働いていて税金や保険料を納めている人も、将来「二人で一人を支えなきゃいけなくなる」と言われている若い人も、社会保障費を拠出する形になっている企業の人たちも、まだ働いていない学生までもが「高齢者は社会にとって損失」という考え方をする。「その考え方はおかしい」と意見をすると「じゃあどうするんだよ。しょうがないじゃないか」と言われてしまう。当の高齢者にとっては肩身が狭く、生きにくい社会だ。

 それと同様に、ほとんどの人たちが「社会保障費は少ない方がいい」と思っているように見える。「医療費亡国論」などの医療費抑制政策がそうだったように、「適度に抑制する必要がある」ではなく「少なければ少ないほど良い」という論調になってしまうと、いつの間にか抑制することそのものが目的になってしまって、その分野が限度を超えても縮小し続け、弱いところから崩壊していく。医療も介護も含めた社会保障には「これ以上削ってはいけない」という限界点があり、それを見極めないで抑制一本槍の政策を取れば抑制が行き過ぎ、必要な社会保障を受けられずに命を落とす人が出てくる。

 現在までの経済では「社会保障費はどこからか拠出して生み出すもの」であるために、経済界の偉い人は次のように言って、社会保障費を値切り続けている。「社会保障費にこれ以上取られたら、企業の国際競争力が落ちて世界で戦えなくなる。それでもいいのか」と。実際には日本の社会保障費の企業負担は、世界的に見て低い水準である。それでも企業は「これ以上社会保障費を取られたら、倒産してしまう」と言い、負担が増えることには強硬な態度で抵抗する。社会保障の需要は増大しているのに、社会保障全体のパイが大きくなることを許さない態度がまかり通っている。

 社会保障のパイを小さくしようという圧力がかかり続けているため、医療や介護など社会保障分野の労働の単価は低く抑えられ、介護労働者の中には体を壊すほど頑張っても「ワーキングプア」レベルの人がたくさんいる。男性でフルタイムで夜勤もする介護職員ですら、結婚してやっていけるだけの給料がもらえない。そのため、介護職で「寿退職」というと、他に職を見つけて介護職から抜け出して、結婚できるようになった人のことを指す。

 給料の少ない仕事は、仕事そのものも社会の中で低く見られる。現状ですでに、介護の仕事を「社会の底辺の人たちがする仕事」のように見る風潮もある。社会が介護分野のパイを小さくして介護報酬を低く誘導したために、やる気のある人、能力のある人は介護職に就きにくく、就いても残りにくい社会構造が形成されてしまっている。

 本当は介護の仕事というのは人間味あふれる充実した仕事なのに、介護労働に社会が支払う報酬システムが不備だらけであるために、介護分野そのものが充実してこない。お金持ちや政治家は「自分は自分の金で満足行く介護を受けるからいいんだ」と思っているかもしれないが、実際に介護が必要になった時点でそんなことをできるのはそのうちのごく一握りの人で、たいていの人は自分が介護を受ける段になって「こんなことなら、社会保障にもっと手厚くする政治に賛成しておけばよかった」と思うことになるのではないか。

 高齢者が「生きていても価値がない。早く死んだ方がいい」と思う社会、サラリーマンが「なんでこんなに介護保険料取られるんだ。年寄りなんて社会の無駄だ」と思う社会、介護職で働く人が「こんなにきつくて給料の安い仕事、もう辞めたい」と思う社会、子供たちが「自分たちが大人になる頃には、自分の給料の半分は年寄りに取られるようになるんだ」と思う社会。そのような社会は、社会の人口構成が大きく変わらない限り、つまり日本では高齢者の大多数が寿命などで死んでしまわない限り、生きにくい社会であり続ける。このような気持ちを持たなくてもすむ経済の仕組みが、生み出せないものだろうか。



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