第1章

労働報酬はどうやって得られてきたか

 これまでの経済の仕組みでは、労働の対価はどのように労働者に支払われてきたのだろうか。

 例えば農業。野菜を作っている人は、種や肥料を買ってきて畑に蒔き、太陽や雨の恵みを受けながら作物を育て、できたものを人に買ってもらって、生計を立てている。できた野菜は、相応の価格が付いて、市場で売られる。

 野菜の価格というのは、買う側としては「この野菜にはこの値段の価値がある」と思って買っている。野菜が育つには太陽光線や恵みの雨が必要だが、太陽や雨は報酬は受け取らない。野菜の値段は、流通経費を差し引いた残りを農家が受け取る。農家が受け取った野菜の値段のうち、種や肥料などに使った原価を差し引いた分が、農家の「報酬」である。つまり、野菜の値段の中には、野菜を作っている人の労働の対価が含まれている。

 次の例として、自動車メーカーを考えてみる。自動車メーカーは、原材料や部品を買って加工して組み立て、製品にして売っている。自動車の値段は、買う側としては「この値段に見合った価値がある」とか「この値段ならお買い得」と思って買っているが、その値段の中には原材料費の他に、工場やお店で働く人の人件費や、工場の設備投資の一部も含まれている。

 もう一つ、飲食店で何かを食べることを考えてみる。「これうまいねー。二千円の価値が十分ある」と思って食べたとして、原材料費などの経費を除いた「うまいねー」の部分は、料理人や店員が生み出した付加価値に対する報酬となる。

 このように、何らかの「物」が動く経済では、そこで働いている人たちの労働の価値は、物の値段に含ませて生み出しているのが通例である。

 流通業や運送業などの場合はどうだろう。これらのうち、「売り物を運ぶ」場合には、その流通コストは物の値段に含ませるのが通例だ。それ以外の「物を運ぶ仕事」には、配送料などのコストが支払われる。流通や運搬などの業態はかなりシステム化・合理化が進んで、今では数百円で全国に物を送ることができるが、流通・運送業で働いている人たちの人件費はその中に少しずつ含まれている。

 医療ではどうだったか。医療の費用を生み出す仕組みは国ごとに違いがあるが、ここでは日本の場合を考えてみる。医療は一般的な仕事とは状況が違い、常に必要としている人は多くはないが、いざ必要となったらかなりの費用がかかることが多い。何らかの仕組みを作らなければ、蓄えが山ほどある人を除いて、医療が必要となった時には医療費が工面できなくて命の危機に陥る。その事態を回避するため、「公的医療保険」が組まれた。医療を必要としない人も含めて広くお金を集めておき、必要な人に使うという仕組みである。日本では医療費を抑制するなどのために「自己負担」が設けられているが、日本以外では自己負担ゼロという国も多い。



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